エッセイ
2019/02/15
今日 この頃 想うこと
私自身、63歳になり最近特に自分の人生について考えることが多くなってきました。
そこで考えることは、
人間とは何なのか、人間の役割・使命は何なのか、人間の生、死とは何なのかなのです。
私は44歳の時に妻を亡くしました。この時程人生のどん底に落ちつらかったことはありませんでした。
人間は生まれ、ある程度の差はあれ、平等に生きていかれ、死を迎えていくと思っていましたから、妻の死は私にとって劇的なシヨックでした。
妻の死を通して学んだこと
人間とは何なのか
人間は親から生まれますが、元は神様が神様の分身を分け与えて頂いた神の子であることを知ることが出来ました。
人間は肉体という衣を着てこの世に出現し、修行され現界で修行が終わると肉体的な死を持ってあの世に行かれ何百年後には再生し、人間として再度生まれ変ってくると言われています。
人間は本来は神のごとく神性であるが、物欲、恨み、妬み等からなかなか神性化できません。よって、人が神に近づくには間があるとのことで人間と言われています。
人間の使命は何なのか
人間は親から生まれますが、本来人間は神様の分身ですから各人に与えられた使命があるのです。よく言われますのが亡くなられました歌手の美ひばりさんは神様が天才歌手としてこの地にお出しになられたと伝えられています。
このように政治家、医者、学校の先生等を神様はこの地球を物質的に高度の天国文明を建設するために創られたのです。ですから、各人は神様から与えられた個性を生かし活躍することが大切であるといわれています。
人間の生と死とは
人間の生
人間は神の子として肉体という衣をつけこの地球上に生まれてきました。
人間は動物とは違い、すばらしい知性が与えられています。各人は個性を持った人ですからその能力を自分だけでなく、社会のために役立たせなくてはなりません。
私は常に生きていることを基点に人間は生かされているという想いでいることの大切さを感じ毎日充実した送れますよう努力しています。
人間の死
主魂(魂)は不滅ですが、人間は寿命がくると死を迎えます。それは現界的、医学的には肉体、脳の死を持って死と言われています。それを仏教界では旅立ちとか、幽界誕生とか言われています。
このような人間の原点がわかりますと生きていることのありがたさがわかり納得して生きていけます。厳しい時代に突入し、生きていくことが大変ですが、あまり物主にならず全て与えられたもの、事への感謝を持って生きていくことが大切であると常に思い実践させて頂いています。
厳しくも常に目標を持ち前向きに明るく、自己改新し、次元上昇していきたいものです。
ありがとうございました。
人生の収穫期での終の住処
1. はじめに
終の居場所とは、幅広く捉えるならば自分がほっと一息つけられ、自分らしくいられる居場所で、それが家庭、職場等いろいろな活動の中で求められているが、私は不動産に携わる立場上、終の居場所を「終の住処」として捉えています。
日本人は、戦後欧米並みの生活をし、幸せな人生を送りたいとの目標に向かって真面目に働き、その結果短期間で経済大国に復興し、総中流階級の生活ができるようになりました。
そして90年代は、バブルを経験し酔いしれてる間に、バブルが崩壊しグローバル化し、世界は大きく変わっているのに日本は切り替えが出来ずにいました。
その後、日本人は遅ればせながら、土地神話が崩れそして人生の生き方は多様化してきているので従来の固定した型の決まった生き方では生きていくことが出来なくなってきたことにようやく気がついたのです。
正しく、今、古い体制から新しい体制に切り替わるために過去の積み残した膿を出そうとするクリーニング現象が起こっているのです。そこで勘違いしては困るのは全て古いものは捨てるということではなく、日本の文化、生き方等でいいものは残し、現代に反映させることが大事であります。
団塊の世代が定年を迎え、第2の人生を迎えるシニアー層が増えてきます。
そこで私はシニアーを人生の収穫期と位置付け、高齢者自身が豊かで楽しむ能力と特権を持った世代として生きていかねばならないと思っています。
その期間を充実させることが出来るか否かは各人が「人としての使命を再認識してこれからの人生をどう生きていくのか」併せて「終の住処をどこにするのか」にかかっていると言っても過言ではありません。
「家は生き方の結晶」と言われる位です。その意味で納得いく人生を歩んでいくには早めに真剣に考え、家族で話会うことが大切であります。
2. あなたの人生設計は出来上がっていますか。
サラリーマン時代は結婚し子供を産み育てそして人生での最大の買い物であるマイホームを購入した。ローン返済は厳しいがマイホームを持った満足感と子供の成長そして家族をる為に企業戦士として働き続け、定年退職を迎え、その後のセカンドライフは夫婦が元気なうちは自宅で系続し、お互いに助け合って楽しい助け合いの生活をもつパターンが多く、ほとんどの方がここに属しています。
近年、人間の生き方が多様化している中で高齢者の一部には身近の文化を感じ、アクテイブな人生を送りたいと思う人が増え、都心回帰現象が顕著になってきています。
このように自分自身の生き方、生きがいを固定することなく積極的に前向きに生きていく方々のうち特に女性が多いことは事実です。
しかし、ここでの問題はどちらかと言えば、夫婦のうち夫の方が現役時代の活力がなくなってしまい、家にこもりがちで、これが妻への負担になっていることも事実です。
子供たちと同居したいと思っても子供たちとの折り合いがつかないので、同居できず、本人としては、元気なので自分で何でもできるし、友達もいるし、老人ホームには入らず楽しい日日を送っている人もいます。
日本の核家族のひずみで、高齢者は出来る限り子供には負担は掛けたくないとの思いが強く一人で頑張っている方が多くいます。元気のうちはよいのですが、行く末は限界がきてしまいます。
日本の今後の家族のあり方と住まいとの関係について検討すべき時期にきています。
ここでの基本的な共通点は、各人が人生の目的に、向かって自立した生き方が出来るかどうかであります。セカンドライフは各人の家族環境等から生き方は異なり、モデルケースはありません。
とかく、財産があることで、親子、子供間の骨肉の争いが起こり本来の人間としての使命・役割を忘れてしまっているのです。
この世に生まれてきたことを自覚し、自分自身を高め、社会の為に少しでも役にたち、お互いに助け合う生き方をしようとする方々が増えてほしいものです。
それが出来てこそこの世に生かされている人間としての価値があるのではないでしょうか。どうか、夫婦、子供たち、を入れての家族会議を開催し、自分たちの生き方、そして、終の住拠等についての人生設計について話し合ってみては如何でしょうか。
英国人は経済的弱者でも何故あんなに充実した生き方が できるのか。
1. 日本人のお金と不動産に執着を持った生き方
日本人は元々、質素で堅実な性格の人種であり真面目にこつこつと働き自分の城、住宅を持ち幸せな家庭を築きたいと人生を求めてる方が多いのであります。
近年、日本の財政危機と行政のいい加減な処理の為、将来の年金支給も危ぶまれてきた今日この頃、国民は安心して生きていく保障がなくなりました。
その為、金を使うのではなく、貯蓄に廻し貯めて使わないのです。それがバブルが崩壊し、経済的に落ち込んでくると生き方もマイナス指向になり、暗い人生を歩む人が多くなっています。それに比べ英国人は、概して日本人より低い収入で質素な暮らしを送っています。
質素だから不幸とは考えずむしろ、年収の高い日本人よりも精神的には充実した生き方をしています。
どうしてこのような生き方ができるのでしょうか、お金とは不思議なもので、いくら増えても不安感をなくすことは出来ません。
イギリス人は収入が低い上に貯蓄高も知れています。
正しい歴史認識、歴史事実を知ることの大切さ
正しい歴史認識、歴史事実について
先般、日韓併合100周年についてのあるシンポジュウムに参加しました。私どもは学校で正しい歴史、特に日本の近代史について教わっているでしょうか。
最近、日本がおかしくなっているぞと思えるんです。
日本と言う国は日の元つ国で神様は世界の中では特別な国として位置づけ、日本の存在は偉大であったと言われていました。それが戦争に負け、アメリカの属国になり、日本の伝統、仕組み、考え方、人間性等の日本の良さが崩壊されようとしています。
これは外圧によるものもありますが、日本人自身の弱さ、曖昧さからくるものもあると思います。隣国である韓国とは個人的には友好関係がありますが国家レベルになると日本が長い間統治していたことが根源で日本に対する恨みを今でも出しています。
韓国の立場ではそう思うのもわかりますが韓国人独特の国民性から執着心が強く日本人とは歴史認識度は違います。
それは現在の韓国での教育がその当時の事実を正しく伝えていません。当時としては韓国をそのまましたら本当の植民地支配され、今の韓国はないといわれています。
それを防いだのが日本であり、多額の金をつぎ込み現在の基盤を築いたのです。それなのに民主党に政権交代された当時は特に韓国に対しておかしいな行動が多く見られました。
・菅談話、外国人参政権問題、日韓併合100周年での菅首相の発言等があります。
そんな疑問点があったので正しい歴史事実を把握して正しい歴史認識を持とうとこの会に参加したのです。
日韓併合にしても日本が韓国を統治したことは事実で統治された韓国側の苦しみは大変だったでしょう。
日本は、謝罪し、金銭的にも対応しております。韓国側はその苦しみは将来に亘って拭い捨てられるものではなく、歴史認識の違いがあると日本を攻め続けています。韓国側は日本にどうしてもらいたいのでしょうか。日本は過去のことを正当化しているのではなく悪かったことは謝罪し、隣国同士として将来に向かって付き合っていこうと考えているのです。
過去を振り返ってみましょう。
その当時の統治はイギリスがインドをスペインが南米の国を植民地支配したのと同じだったのでしょうか。
なぜ日清、日露戦争をしたのでしょうか。
日本は清国を抑えないと韓国が属国になってしまいますからあえて戦ったのです。そして統治したからと言っても属国にしたわけではなく多額の資金をつぎ込みインフラ、教育、医学、経済等を整備し民主化を図り、他国からの侵略を防いだのです。
この日本の行動があって今の韓国があるのです。
韓国人でも年配の方々は全部とは言いませんが日本がっ取ってくれた行動に感謝している方々も多くいます。現代の韓国人は歪曲された教育で洗脳されています。それを日本の政治家、特に当時の民主党政権時代のトップも左翼系のために蒸し返すような発言をしていました。日本国の日本人のトップならこんな発言、行動はしないでしょう。
何か敢えて日本を崩壊させるような方向にあります。このまま進んでいったら日本は危ないです。
日本人も日本人としての強さを持って対応しないといけません。そうしないと韓国、北朝鮮、中国からは馬鹿にされてしまいます。日本人は人が良すぎるのか限度があります。もっと、国家レベルの地位を上げようではありませんか。
国民一人ひとりが政治、社会に対して関心を持ってもっと正しい歴史事実を知ろうではありませんか。
感謝の言霊「ありがとう」奏上が人生を変える
人生を好転することができる感謝の言霊「ありがとうございます」の奏上
人間は何故この世に生まれてきたのでしょうか。
単に生きているのではなく、個人、個人に与えられた地球人としての使命を持って生まれてきています。
その使命は自分自身の人格形成をはかり、自分のみの為ではなく、社会の為に役立つ人間になり物質的にも精神的にも成熟した地上天国文明建設に貢献することであります。
その為には、降りかかってくる諸々の試練を人格形成を図るステップであることに自覚し生かされていることを認識し、全てのことに感謝できる人になることが重要になってきます。
一つ一つ頭にきて悪想念を持って対応していませんか。
その対応が結果的にあなたの生き方、人生をマイナス方向に導きかれてしまったという経験がありませんか。
私もここまで生きてきた間に日々いろいろなことを経験してきました。人生は波と節と言われますように平坦ではありません。私は大きな波底を体験し,それを乗り越えるには苦しく、何で自分だけがこんな苦しみを味わなければいけないだとあがき苦しみました。でもそれだけでは乗り越えられません。そこで、どうしたかと申し上げますと発想の転換をしたのです。
今このような経験をさせて頂けることはきっと自分が良くなる過程・体験だと信じ、感謝で受止めさせて頂いたのです。
その結果、その波底を味わった人の苦しみもわかるようになり、自分自身がこの世に生かされ生きていることがわかるようになり人間として大きく成長したと思っています。
その時、私は波底になった時は自分を見直し、大きく飛躍させて頂ける絶好のチャンスと感謝し、下記のことを実践させて頂きました。
人生は人間が生まれ死ぬまでの間いろいろなことを体験し人格形成していく修行の場と思っています。我々が生きている場は舞台だと思い、そこで演じているのがそれぞれの人間と思えばいいのです。
いい舞台にし、お客様に喜んで頂くには人間である自分をいい方向に切り替えなければ喜んで頂けません。その切り替えを私は自分に降りかかってきたこと悪いこと含めて全てを感謝しその感謝を形に出すようにしたのです。
具体的には、感謝の表現として 「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」の言霊を感謝の気持ちを持って連続して声を出し奏上したのです。
そうしますと、自分自身の持っている悪想念、恨み、妬みが消えて清らかな心、想念になり、この世に生かさせて頂いていることを感謝できる善人間になることが出来るようになったのです。そしてそれを続けているうちに人生が好転してきました。
それはなぜでしょうか
「ありがとうございます」という言霊の一字ごとに意味があると聞いています。
日本語の原点である大和言葉から解き明かすことができます。(角田忠信先生の研究より)
あ・・明かり、新しい、生命の本源で全ての始まり
り・・変化や活動、生み出す働き
が・・神、輝く
とう・・とう=十、十は縦、横が十時に組む、十はカミ
ご・・完成に向かう
ざ・・さらさら流れる宇宙の全てが自然に移り変っていく
い・・命、いきている
ます・・増える、栄える
ですから「ありがとうございます」というう言霊を奏上することは無から有を生み出し無限に輝く光をこの世で有にし、物質化させル大宇宙の働きをあらわす言葉と言えます。
一言一句かみ締めて奏上しますと自然と人間と神とが融合し、一体化し大きく輝く自分になっていくような気がしてきます。
世の中が自己中心社会になって自分さえ良ければ、そしてその時が楽しければと刹那的な生き方をされる方が多くなってきました。そして何か自分に害が振りかかってくると社会、他人のせいにしてしまい不平、不満を持った人間が多くなっています。そんな人が多くなっているのですから社会は良くなるはずはありません。
人は一人では生きていけません。人それぞれ個人的な事情が異なりますが、親族、友達を含めていろいろな方の支えがあって今の私たちがあるのではないでしょうか。
それが人という文字になっていると思います。
現在、人の生き方、考え方が自己中心型になり、自分の価値観と異なったり、相手から言われたりすると直ぐきれてしまい、親さえも簡単に殺してしまう世相、これは何が原因しているのでしょうか。
自分さえ良ければという個人主義社会になってしまった弊害が家庭、企業、社会にでています。個人的にはやさしく、愛を求めてるいるのですが今までの家庭環境、親からの愛情不足等が原因で人間不信に陥ってしまってると思います。
経済的に繁栄した日本の愛和のない人間社会のひずみではないでしょうか。
でも社会、他人のせいにすることも一部ありますがまずは思いっきり自分を見つめ直し、自分を変えていく必要もあるのではないでしょうか。
人から中傷されたりし、人と接することがいやになることがあるでしょう。その時、あなたはどう対処されていますか。
よく写し鏡と言われますとおり自分に対していやなことが他人からされた場合、普通はその人と喧嘩したり、言い合いになるのではないでしょうか。
その時その現象をどう受け止めるかによって人生は大きく変ってしまいます。
それでは、それをどう受け止めるかです。
それを過去において自分も同じようなことをして他人にいやな思いをさせていたのだということを気付き、そしてそうされたのも全てが自分のせいであることに気付かさせて頂くのです。
中々、こういう風には出来ませんがこのように捉え、全てに対して感謝で受け止めさせていただき「ありがとうございます」という言葉を発していくのです。そうすると、自分自身が変っていき、人と接するにしても明るく、楽しく接することができ自然と善人間になっていきました。
私自身、不平不満を言いたくなる時もありますが、全てに対して自然体で、感謝して生きていることが社会が平和になる根源と思い実行しています。
人生は、短く貴重です。毎日を大事に生きないともったいないです。
自分にかかってきたいいことも悪いことも自分が良くなる指針であると思い全てを感謝して対応しようと決めたのです。
あなたはこの地球になぜ生まれてきたかを思うことありませんか。
このことを思うか、思わないかでその人の人生は大きく変ってしまいます。それは何故でしょうか。それは人間は親から生まれはしていますが原点である神様から各人は目的、使命を持ってこの地球に生命を授けることを許されたのです。
ですから、漠然と生きてはもったいです。生かされていることに感謝し、世の為、他人の為になることをするのです。そういう想いで生きていると人生はいい方向に変ってきます。
感謝の言霊、「ありがとうございます」を奏上するとともに、
「あらゆる面で私は益々、良くなっていく」
「あなたが負けると考えるならま負ける。」
「最後まで成功を願い続けた人だけが成功している。」
「私が出来ると」
と考え、実行する人だけが勝ち成功している。
皆さん、自分自身を前向きに振るいただして、諦めないで感謝して祈り、奏上するのです。
きっと人生は、変わってきます。
本当に真から感謝で「ありがとう」「ありがとうございます。」を奏上して下さい。
きっと、気持ちがすっきりし、神に近づき愛されて頂けるような気持ち、想念になっていけると思います。
本日は検索していただき ありがとうございます。
今後も皆様にお役に立つ記事を書かせて頂きます。
皆様の今後のご健勝と ご活躍をお祈り申し上げます。
住宅のあり方
住宅のあり方、考え方
住宅は我々人間にとって、生活の基盤であり、住宅に対する考え方、利用の仕方によって、我々の人生も大きく異なってしまいます。
今と違って過去は住宅は住む城で多くの方々が住み そこで家族、あ更には地域との絆が形成されていた。
その家には一代の家族だけではなく、多いところでは三代の家族が同居されていた。そこからいいものが生み出され家族間の絆が形成され、そこに住む人間も今のような個人主義的人間ではなく、思いやりがあり、お互いに悪いことは注意し、励ましあい隣接の家々が一団となった地域形成がされていました。
家は本来、住む役割があるが、その外、人々が集まり団欒をする場でもありました。それが今は孤立化した関係で部屋自体が個別化し、家族の人、地域の人達が集まって団欒する機会がめっきり少なくなってしまいました。
建築社会学者の樫野紀元氏はこう述べています。
「住まいは住み手が学べる家でなければならない。」
そして、家は住みよい社会をつくる器になる。2030には、単独所帯が全所帯数の4割弱達する。その時、住文化に一大変革が起きても不思議ではない。これからは、家族以外の人間にも優しい社会とそういう人間をどう育むかが大きなテーマになっている。
大人が近所の友達の家に気軽に出入りでき、地域みんなが見守る社会を作るべきであり、家がその原点になっていかなければならない。
世の中がおかしくなる原因が家にある。ですからハウスメーカさんは家を物理的につくるだけではなく、家族が団欒でき、地域のコミュニテイー、隣近所との交流を促すような家づくり、街づくりしてほしいものです。
家自体も質の高い長く使える住宅をつくることで家に対する想い、大切さを持つことで、家を通しての世代間交流が生まれるような社会を作っていくことが大切である。
定年後の生きがいのある人生設計、ライフワーク
どうすれば出来るか。
1. 第二の人生をどう迎えるか。
私自身も5年前に定年で退職し、第二の人生を迎えることになりました。その時の思い等をお話させて頂きます。
定年を迎えても今や、平均寿命が延び20年あまりもあります。この期間をどう生きていくかが人生終末の結果に結びついていきます。前提条件としては、健康でなければなりません。
それと流されて生きているのではなく、新たなチャンスを前向きに捉え、これまで培ってきた経験、知識を更に深め、社会の為に貢献する有意義なる日々を過ごしていけばきっとすばらしい人生になると私自身は確信しています。
2. 人生は、漠然と過ごしていてはもったいない。
定年を迎えると言うことは、サラリーマンであえば会社勤めを一応終わる訳です。この間、各人の生き方は異なりますが、自分の為、家族の為、会社の為、社会の為、と精一杯頑張って終わろうとする訳でその充足感はすばらしいことであります。その充足感のまま、後はのんびりと過ごそうと思われそうされている方も多いです。
長い人生には休憩する時は必要ですが定年後の前提は健康であれば長いです。何の目的も無く、漠然と過ごしてはもったいないです。会社からの拘束は無くなり自分の時間は十分あります。
私もその時間を使って本当に自由な快適な日々を過ごせると思い自分なりの生活設計をつくり過ごしていましたが大雑把な計画であったので崩れてしまいました。
そこで自分のライフワーク、人生設計をよく練り直し実行するようにしました。そのことによって日々の過ごし方、人生の目標に向かう姿勢、心構えが出来、変ってきました。
社会が急速に変化しています。社会の高齢者に対する環境は満足いくものではありません。もっと我々が結束して政治家に動かさなければ変らないでしょう。
その上で各人が不平不満のみの人生から脱却し、生かされていることに感謝し、将来を見据えた積極的で楽しい人生を送っていこうという想いを持ち過ごしていくことが必要でありそれを継続、実行していくことがより、充実した人生になると確信しています。
3. 限られた時間の使い方、向かい方によって人生は決まる。
我々の現界の時間は限られています。定年を迎え、現時点からすると約20年、この期間が長いか、短いかは各人の捉え方によって異なりますが、あっと過ぎてしまいます。
自分の人生だから各人が最終的には幸せな人生を送れればいいのですが、お金があっても家庭の不和が絶え無い人、お金が無くてもいつも感謝して生きて愛和な心でひとと接している人、いろいろな方がいますが、私は自分が亡くなる時に今まで生きてきたことの良きか悪しきの判定ができると思っています。ではその判定の基準は何なのか
人間は最初は自分欲の為、自分が幸せなら言いとそして自分の家庭がよければとのスタートから最終的には人の為にそして社会の為に何かが出来たか、社会貢献が出来たかによると思います。それに向かって無駄な時間を過ごしてはもったいないです。有意義なる時間を過ごしたいものです。
人生を向上させるには世の中で起こる全てに感謝できる 自分に変える
人生を向上させるには生きていることの目的をはっきりもち、全のことに感謝でき、利他愛な自分に切り替わることです。
よく「感謝しています」と聞いてすばらしい人だと思うことがあるのは一例ですがオリンピック等のスポーツで優勝した選手が優勝したことは本人が努力した結果であるが必ずこの優勝まで導いて頂いた全ての方々に感謝しますというスピーチをされます。
このように優勝される方は技術的にも最高ですが人としての生き方がすばらしいです。ですから優勝できると思います。高校野球でも結果的に負けても選手として出場しなくても共に練習したことが人生のプラスになっているし、それを感謝してその後の人生の踏み台にして生き成功されている方が多いのも事実です。
私自身も生きている中でいろいろ体験しそれを人生の糧として日々つつがなく生かさせて頂いていることに先ずは感謝しています。
人生を向上するには、各人がこの世に何の為にいきているのか。親から生まれたことは事実ですが大元が大事なのです。大元とは人間は神様の分けみ魂で神様はこの地球上に生を授けた目的があるのです。
単に生きているだけでなく働いて家庭を持つだけではなく最終的には神様がこの地球を物質的に繁栄し、争いもない天国文明を創造されているこの目的に各人与えられた職、能力を活かして参画することなのです。
私は社会に少しでも役立ち貢献をしたく仕事も、奉仕活動も感謝して従事させて頂いています。
目標を持つことは出来ますがどう実行するかが問題です。それには、自分を肉体的、精神的にも充実させ、明るく、前向きに全てに感謝し行動することを心掛け実践しています。
人生は修行の場で楽しいことだけではありません。
ですから苦しいことがおこったと時こそが実際には、苦しいけれども生かされてそれを自分を昇華・向上させていただける機会を与えて頂いていることに感謝しています。
これを実行するには自分を全てに感謝できる人間に切り替えていくことが大切と思います。
自己維新、自己改革、全て起こってきたことを他人、社会のせいにするのではなく、全ての原因は自分にあると思い、先ずは自分を感謝できる人(霊止)になるよう切り替わり、お互いに強く、前向きに生きようではありませんか。
そうすることできっと神様から愛され人生を昇華できる人になっていけると思います。
光輝く人になりたい
光輝く人になりたいと思いませんか
あなたはどう生き、光人になっていますか。
それぞれの年齢、生き方等によって捉え方が異なりますが人と生きている限りただ漠然と目標も無く生きていてはもったいないと思います。
現実はどうでしょうか。その日をどうやって生きていけるか悩み苦しんでいる人、そして年間3万人もの自殺者が出てしまう現在のような社会、何かおかしくなっています。
若者は学校を卒業しても何を目指すかはっきりせず、内向き人間が増えているようです。この現象を若者だけを責めてはかわいそうで我々大人、更には国をリードされる政治家の国家目標、政治家の力量が無いことが原因しています。
明治維新での偉人の志、野望は無くなり、自己中心型な人が多くなってしまいこれでは将来に向かっての目標を持つことも難しくなってしまうのも当然といえるでしょう。
目標は各人によって違いますが最終的には幸せな社会を創るのにつながっており、その恒久平和な社会を構築する為に人種、個性の異なった方々を神様は敢えて創られ各人が自分の為でなく愛和した形で実行する時に実現できるのではないでしょうか。
個人的には勉強して○○になりたい。
結婚して幸せな家庭を作りたい。
会社の社長になり社会に貢献したい。
基本的なこととして人は何の為に生きているのか。
何の為に勉強するのか。何の為に働くのか。
何の為に結婚するのか。
その外ありますが何の為に全てのことをするのかが解決できてなければなりません。そのうえで人としての目標が明確に設定し、その目標に向かって決意し、実行していくことが人生において大切であると思います。
私自身も最初はまず自分が幸せになりたいとの想いが強かったのですがいろいろな体験、多くの人と接することで今は自分が光輝く人になって多くの人に光を与えられる自分に変りたいと思うようになり日々精進しております。
それでは光輝く人とはどんな人でしょうか。
例えば会社の社長さんが会社に入ってきたとたん雰囲気が明るくなり、やる気を出させることができる人。家庭でも家に帰ってきたら子供が寄ってくるような人。
このような人は社長さん、お父さん、それぞれの立場での威厳がありますが、ただその威厳を振りかざすのではなく自らが明るく、皆の中に入って楽しい雰囲気をかもし出させることが出来る人、オーラがある人 自分よがりではなく人の為、社会の為に奉仕精神を持っている人が光輝く人ではないでしょうか。
中々すぐにこのような人はなれません。しかしなれないことはありません。このような光輝く人になりたいと想うことです。このような光輝く人が増えてくればきっと愛和な社会、世界になると信じています。
一本の松明(たいまつ)が束になれば太く輝く松明になります。今、一人ひとりが自己改革し、同じ志を持つ仲間を結集し、社会の善果活動をしようではありませんか。
その為にも人としての生きる目標を持ち、それに向かって何をすべきかを決め、実行していくことだと思います。
よくマイナス人間になれと言われます。それではどういう人間なんでしょうか。
自己意欲、自己中心な人間ではなく、ひとの為、社会の為に自分を犠牲にし、生きられる人間、こういう人間は磁石人間ですから人、仕事、福が付いてきます。結果的にはプラス人間になってしまいます。
マイナス人で光輝く人には必ず幸福が舞い込んできます。
光輝く人になって人に救いを与えて下さい。
和、一体化、仲間 絆を強く想う
和・一体化・仲間・絆
元々、日本人は和の精神を持ち仲間を大事にした国民であったのが欧米の精神が入り込んでからは個人主義に変ってしまった。
自分さえ良ければ他人なんか関係ないという考え方、生き方が狭い人が多くなり必然的に社会が殺伐となりおかしな世の中になってしまっており残念でしようがない。
しかし最近、スポーツで和・仲間・絆と言う言葉を聞くことが出来びっくりしています。
その一つが前ですが、プロ野球の試合でのロッテの優勝がありました。この優勝の監督の発言です。
「この優勝は選手の和があったから出来たのです。選手に感謝します。」
もう一つは六大学野球で早稲田大学が優勝したと時今はプロ選手になっている斉藤選手の言葉です。
「一生思い出すのは仲間です。」
本当にうれしい言葉です。
更に感動したのはダイリーガーのイチロー選手の野球選手として以上に人間性を改めて再認識させていただいたことです。
イチロー選手は努力家で人一倍練習をしてあのような選手になっているわけです。普通だと自分がこんなに頑張っているのに何で他の選手も頑張って勝利につなげてくれないかと不満になるのですがイチローは違うのです。自分が精一杯頑張っている姿を見て一人でも一緒にやっていこうという選手を大事にし、チーム力を作っていく努力をおしまなかった。10年連続200安打達成の時、イチローは一塁ベースにいました。観客から大声援の拍手が鳴り響いていたのです。過去においてマスコミ、選手からはイチローは自己中心型であると言われていたこともあったので、そのときは意識的に自分から帽子を取り挨拶をするのを躊躇していたのです。
その時、自分のベンチを見ると選手全員が立ちお祝いの拍手をしており、外野のブルペンでは日本型の万歳をしている光景が目に入ってきたのです。イチローの選手クラスになれば最下位を低迷して選手間の和が出来てないチームにいるよりか優勝できるチームに移籍した方がいいとおもうでしょうが、イチローは違うのです。
内心は自分の成績以上にチームの和、優勝を考えていたのですが、当初は誤解があり、自分勝手な選手だと言われていましたが少しづつ自分の考えをわかってもらうように努力していました。そしてその努力が実ったのです。
その時のイチローは自分が200本安打達成の喜びよりチームが一体となって喜べ合う状況になったことの方がうれしいと言われていました。チームは最下位でやる気をなくしている状況でイチローは自分のことだけでなくチームの為に頑張っていく姿勢は日本人として大変うれしいことで私は感激しました。
最近、「一枚の写真」というテレビ番組を見て感動しました。それは山梨県にある「日川高校」のバスケット部での実話です。
バスケット部の中に元々はバスケット部員で活躍してたのですが原因はわかりませんでしたが半身不随になった選手が毎日自分はレギラーになれなくてもバスケットが好きなので皆の為にと影の役割を果たし続けていました。
普通であったら回りも厄介者と相手にしないでしょうがこのチームの監督・選手がすばらしいのです。監督はその半身付随で足は悪く、左手しか使えない選手も見捨てず、献身的に皆の為にやっている姿を何かの形で返してやりたいと思っていました。
そしてその時が来たのです。地区予選の決勝戦でその半身付随の選手を試合に出さしてやろうと皆の前で宣言したのです。周りの選手がどう反応したでしょうか。皆が喜んだのです。
そして試合は後半戦の3分前点差38点で勝っていた時、その選手を出したのです。そして最後ボールがその選手に渡ったのです。そして選手は左手でボールをスローイングしたのです。そのボールが真っ直ぐに入ったのです。その時は観客、相手の選手も全てが立ち上がり歓喜で喜び合いました。
そしてその選手は「私は皆がいたから今ここにいられる。みんなに感謝したい」と言うのです。そしてその選手を真ん中にして撮った一枚の写真 本当にすばらしい写真でした。私は涙が止まりませんでした。
日本では「和を以て貴しと為す」という聖徳太子の名言があるように日本は「和の国、大和の国」と言われ「和の精神」をもって佳としてきた。
それでは、「和の精神」とはなんであったのだろうか。
人とぶつかることなく、仲良くやっていけるであろうか。現実はどうであろうか、この世はいろいろの人がいて自分とは異なる人間から成り立っている訳で当然意見が異なって対立することが起こります。
そこで対立し続けてれば和はうまれません。
しかし、日本人は対立してぶつかりあっても全体を見た中で自分が間違っていたときはいさぎよく誤り全体の中で対応していける人間なのです。
今、日中、日ロ間での領土問題を含めて両国間の関係がおかしくなっています。人間同士でも何も言わないでいれば相手は自分の都合のいいように理解し対応します。国家間でも同じではないでしょうか。
日本人は人がいいと言われて喜んでいる場合ではありません。お互いが自国の国益のみを目的に主張し合うのではなく日本は特に韓国、東南アジアといった周辺国に対しての仲間としての責任があるので言うべきことは言わないと信頼関係は無くなってしまいます。
今後はより米国、韓国、周辺国を巻き込んでの戦略的対応をしなければ中国、ロシアには立ち向かうことは出来ないと思います。世界は宗教戦争、イデオロギー戦争が続いています。
自国の主義のみ主張し続けていたのでは戦争は終わりません。私は日本の国際的役割として日本の「和の精神」「大和魂」を世界に発信し、地球規模でのまとめをしてゆけば必ずや平和な世界が構築されると思います。
先般は、世界女子サッカー大会で日本の「なでしこジャパン」チームが優勝し,この度のロンドンオリンピックでの準優勝、すばらしいですね。この時期に優勝、準優勝をしたことは日本に本当に「頑張ろうという励みを与えてくれました。」本当にありがとうございます。
このチームもそれぞれが個性がありその上で沢さんを中心に一体化したことで優勝できたと思います。
我々はこのことから何を学べばいいのでしょうか。今の時代は個人の能力は持ち、意見を言う時は遠慮することなく、喧嘩するぐらいになっても結果的に決まったことには一体化することが日本人のいいところで、最近この傾向が出てきていることはすばらしいことです。
一人舞台してはだめで時には自分を殺しチームの為に協力するこのことが大事なのです。
このことでチーム力が増進するのです。日本人は奥ゆかしいと言われいい部分はあるがこれからは表に出るときは必ず前に出るのです。震災を通して被災者の方々は元々あった近所の絆がなくなってしまい仮設住宅で一人住まい、これでは孤独でまいってしまいます。
人間は一人では生きていけません。仮設住宅はあくまで一時的な施設でそこには人間が住むにとって大切な絆、一体化、和がないのです。特に被災された方々への心のケアーをしてあげる対策が急務であります。
子供でも、大人でも個としての存在はあり、尊厳を持っています。最近、子供間で陰鬱ないじめが多発しています。いじめをする方は自分が家庭、学校、社会の中で孤立化しその憂さ晴らしに弱いものをいじめ楽しんでいる本当に汚い、醜い弱い者、何がこんなことにさせたのか真剣に考え改善していかなければなりません。
日本の国土が危ない。日本は海側だけでなく既に内陸部も 侵略されている。
日本の国土は危ない
外国が日本を海側からだけでなく既に内陸部も侵略されている。日本の国家危機管理はどうなっているんでしょうか。国民は安全でかつ安心できる国家にいることを最大の喜びとしています。
その国民の望みを覆すように今や侵略されているのになされぱなっしで国としての防衛がなされていません。政府の弱腰外交に唖然とすると共にあきれてしまいます。
「外国人の日本の土地取得の活発化」(サンケイ新聞より)
国内の水源地や安全保障係わる重要な土地が外国人や外資に取得されている実態が明らかになってききた。現行法では外国人による土地所有に事実上何の規制もない。
大正14年に制定された外国人土地法は国防上重要な土地の取得制限を定めているが、戦後、規制対象を指定した政令が廃止され、実効性を失っている。外資による取引を規制する外為法も不動産の合併・買収について事後届けを義務付けているだけでゆるい。
菅直人首相時代の参議院予算委員会での質問に対して菅直人首相は法規制等を早急に整備しなければならないと述べていたが菅内閣は、10月26日、外国人の土地取得について「安全保障等も考慮したうえで必要」とする政府答弁書を閣議決定した。ようやく動き出したが早く米国のように国の安全を保障を脅かすと判断される場合には事後的にも取引を阻止できる日本版包括通商法を法制化して国を守る為に国家の総力を挙げて対応してもらいたいものです。
このままでは日本は海から内陸部からも侵略され国を守る事はできません。国会議員は与えられた使命、役割を再認識して国家、 国民の為に頑張って頂きたいものです。
一部のジャーナリスト、政治家が国家の無防備、無警戒振りを告発している。それによれば、わが国は土地取引に例外など「留保条件」を全くつけずにWTOに加盟した為、いまさら外資を理由にした規制が出来ないという説明にはあきれるほかない。
此のことは、私たち戦後の日本人は経済的な繁栄ばかりに現を抜かし、結局、国を守るいった意識を忘れ、置き去りにし返りみてこなかったという話にほかならないからだと思う。
食育と教育 青少年が危ない
食育と教育(青少年が乱れている原因はなにか)
青少年の教育は知育(智識)、徳育(人としてのあり方)体育(体)が三位一体となってなければならない。
教育は健全な人間をつくることが目的であり、その土台となるのが食育であると思います。
現状はどうでしょうか。子供の孤食化が問題になっています。家族と一緒に食べなくなっています。
孤食には次の捉え方もあります。
個食(一人でたべる)
固食(好きなものしか食べない)
小食(食べる量が少ない)
粉食(米を食べずパスター、ラーメンを食べる)
その結果子供がどうなっているでしょうか。
- うつ病になる、切れやすい、低血糖化、免疫力の低下
- 家庭内での食の乱れ、家族団欒での食事が出来なくなって親子のコミニュケーション
が不足し、自己中心型の人間になってしまっている。 - 我々の年代は、母親の作ったお袋の味が忘れられないのだが、今はコンビニ食になって
しまい本物のお袋でなくコンビニの袋の味に変わってしまっている。
愛情のないコンビニ食で育った子供は食を通しての愛情が欠けてしまい体力的にも精神的にも不完全な人間に育ってしまっています。
これを無くすには、家庭内での食、(団欒できる食事の場造り)について話し合うべきです。
社会システム上父親は仕事中心になり子供との接触、会話が少ない。母親も家庭収入を増やす為に、社会進出の為に勤めに出る。その結果、子供が小さい時から保育園に預ける状況になり子供への愛情をかけることが少なくなってしまう。
子供側から何を求めているのか。もっと親と一緒に食事をし、話したい、そしてもっと抱きしめての愛が欲しいと思っているのです。現実はやむ得ないでしょうが子供は敢えてコンビに食を好んで食べているのではないのです。
食べ物の本物の味を知らない子供、添加物が多く付いている食べ物を食べることによる体への影響、家族で楽しく食事をすることを知らない子供の成長してからの人、社会への対応が出来なくなる弊害、その外多くありますがもっと母親の食育の勉強をすべきであると思います。
食育は食べることだけでだけでなく、生産についても学ばなければなりません。
人間はこの地球上に生を授かり生かされています。それは人間だけでなく、自然界、動物界の動植物と共存して繁茂繁栄しています。ところが、人間は自分勝手で自分達が生きていくために自然界を破壊し,動物界の動物を例えば牛、豚、鶏にしてもその動物の本来的な生命力までもむしり取ってしまい我が物顔に食べているのです。
生産者も大量に生産する為に本来はしたくないのに大量の農薬を散布したり、鶏にしても自由がきかないような狭い鳩舎に入れ込まれ決まった餌で肥育されているのです。このような人害を無視した生産、収益主義が現状で、我々消費者はあまりそのことを知らずに食べています。
食育と教育の点から捉えると子供に米、野菜等を作ることを学ぶといいと思います。苗を植えただけでは育ちません。動物も肥育し、食肉として食べるにしても感謝して食べる ことが大事ではないでしょうか。そこに本当の愛情がないと育たないのです。これを実体験することも子供を育てる上での重要なことであるとおもいます。人と自然との共存、助け合いの精神、思いやりのある社会、そして子供が子供らしく成長できる社会を構築しようではありませんか。スタートは個人、家庭からです。
家庭では加工されたものを中心に食べているので例えば米がどのようにして農家の方が苦労して作られているかを知らないので食べられることへの感謝が出来なくなっています。学校ではどのような教育、食育をされているのでしょうか。
私の知人が農地を借り、そこに寄宿舎を造って非登校生や、やや問題がある青少年と合宿して農業の生産活動等をしています。そこでの合宿を通して青少年は人間は自然と共存していること、愛情、感謝を持って対応していかないと農作物、人間ともいい関係が出来ないことを学び、人格形成がなされ復帰されていると聞いております。
私ども一人ひとりがもっと食育と教育について探求してよりよき社会にしていこうではありませんか。
生きるとは生かされていることである。
生きているとどういうことでしょうか
人間の命は不滅 生かされていることに感謝
私は妻の若き死を通して生きていることを学びました。
現在、日本の平均寿命が80歳代まで伸び超高齢者社会に入っています。そこで長生きすることは喜ばしい限りですが本当に人間として生きていることを理解され、人生を過ごされていますでしょうか。これが解らないと死が怖くなってしまいます。
そこで、人間が此の地球に生を授けられた理由はなんだったのでしょうか。人間は人間を生み、人間として生きていますが、実際は神様が人間を創られたことは知っていますか。そうなんです。
命の大切さ、人間は肉体的には死んでも奥にある魂は不滅なのです。神様から授かった命を簡単に捨ててしまっては神様はあなたに授けた命の大切さを解ってないと怒るでしょう。
もっと、もっと、命を大切にし、神様が一人ひとりに授けて下さった目的、意義を理解し、もっと大きな観点から神様に喜んで頂ける様に自己改心し、利他愛の精神をもって精進していくことが大切です。
この地に命を授かり、何の為に生きているのか。
何の為に学校に行き、学び、更に社会に出て働くのか。
何の為に結婚するのか。
この疑問にあなたはどう答えられますか。
以上の疑問の根本は人間がこの地球に何故いるかを解決出来ないと解けません。
人生は人間が肉体という衣を着てこの地球上で諸々のことを体験、経験して人格形成していく修行の場だと思っています。ですから、つらいこともあるでしょう。死にたいこともあるでしょう。そいうことを体験することで人の苦しみを理解でき、思いやりのある人間に変革できるのです。
現在いじめ、暴力化が低年齢層で激化しています。何故このような現象が多くなってしまったのでしょうか。やるものも自分の腹いせでやっているのかもしれません。このような正々堂々と自己主張できない弱い人間が人を卑劣な嫌がらせ、暴力をふるってその快感を楽しんでいる卑劣な人間を私は許せない。
人間がこの世に生まれ、本来は正しい生き方が出来なければいけないのに人を苦しめ、死なせてしまうようなことをしてしまったらそのやった人には必ずそのやった以上の苦しみを味わなければならなくなってしまいます。これが因果合法のきまりなのです。
個人的には善人なのに自分の弱さ、不満を自分で解決出来ないのでグループになって弱い人に転嫁させていくこの卑劣な方法で自分の悩みを解決できるでしょうか。やられたら苦しいだろうと思えばやれなくなります。ですが現時点ではそのことを理解しきれていないのです。ひとの弱みを喜ぶ卑劣な心が恐ろしいです。
これからはもっと大きな心を持っていきましょう。
新たな年を迎えた 自分の生き方を確立し、実行したい
今年も願望と実践
1年あっと言う間に過ぎてしまう。今年こそはこれはするぞと思うけど結局は出来ないことが多い。国をリードする国会議員の無能力さにあきれてしまう。
国民一人ひとりが苦しみ精一杯生きているのに自分達の立場だけを堅持しようとする政治家、早く一層して超党派で日本をどうするのか真剣に考えリードしていってもらいたいです。
私は、まずは自分を変えていきます。人のせいにしてもしょうがないので自分を変えていきます。
物・金中心の生き方から脱皮しよう
この度の大地震を通して切り変らなければならない生き方
我々が住む社会は格差はあれ、物に恵まれ、全ての物があることが当たり前になって感謝さえ出来なくなっています。
この度の東北地方太平洋沖地震では津波により多くの方々が亡くなられ、未だ見つからない方々が多くいます。そして多くの方々が避難されいます。お悔やみ申し上げますとともにお見舞い申し上げます。そして一刻も早く復興されますことをお祈り致します。
毎日、テレビを通して被災地で避難され生活をしておられている多くの方々のご苦労、そして先行き不透明な状況に不安一杯で大変だと思います。地域外の我々はもっと自分の立場で可能な限り協力しあうことが大切であると切実に思い具体的な取り組みを続けていきます。
日本はどこで地震が起こってもおかしくない状況の中で敢えて東北地方に大地震が勃発したことはどう捉えるのか私なりに考えます。この度の大地震で亡くなられた方々、行方不明の方々、そして被災されている多くの方々には大変厳しいが我々日本人の同胞として身代わりになってくださったと思っています。
この地震を通して自然には勝てなく、全ての安全性が崩れてしまいました。我々日本民族はすばらしい魂をもった世界をリードできる人間であったのがいつの間にか物・金一辺倒で他人を思いやることなく、全てに感謝することが出来ない自分よがりの人間に落ちぶれてしまいました。
このような我欲人間社会を温存させてしまうと折角、神様が地球を創造し、高度に反映し、争いがなく、自然、人間全てが共存しあう地球社会を創ろうとした構想が崩れてしまいます。
そこで、敢えてこのような先ず、天変地変を忍耐強く助け合い精神が旺盛な東北地方におこして地球上の全ての人間に地球規模で全てを考え、物・金中心の人間社会から物を節約し、お互いに助け合い、感謝し合える社会に戻して欲しいとの神の願いがあると思います。
これが東京中心の地域におこたっらどうなっていたでしょうか。被害規模は当然大きくはなりますが、都会人の堕落した生き方がもろに表面化し、パニックになり落ちぶれた我欲人間同士の醜い現象が多発してしまうことは予測できます。
物があるのに買い占めたり自分さえ良ければ人がどうなってもいい非常にせこい人間の考え、生き方が変らなければ人間社会は良くなるはずはありません。その意味で、この度の東日本大地震を通して我々特に都会人は今までの生き方、考え方を見直し、反省し、金・物中心の社会から本来の地球規模、人間社会で思い合い、助け合い、物を大切に、自然と共存出きる人に切りかわらなければいけないと思います。
高度に発展した日本、そこに住む人間は物質的に恵まれ全てが金があれば揃うという想念を持ち続けており、切り替っていません。このような自己中心的な人間が多くては愛和な社会は出来ません。そこで神様は敢えて大地震を東日本一帯におこし物質・自己中心的な人間を利他愛な人間にきり替わらせようとしたと思います。
経済的にはデフレで企業も大変で個人の収入も減ってきているのに切り詰め節約した生活パターンに切り替えていかなければなりません。それでも、根底に生かされ、生活が出来ていることに感謝出きる人間に切り替わっていれば楽しく明るい生活はできるのです。そこにはお互いの思いやり、絆、助け合い感謝があるのです。
それには、一人ひとりが自己変革して物を大切にし、お互いが助け合う人間に切り替わって行かなければならないと思います。
全体的に経済が縮小しバブルの時からすれば当然生き方は変らなければいけないのに未だ切り替われない人が多い。ですから自己破産者が増えています。収入が減っているのだから無駄を無くし収支バランスをとっていかなければなりません。でも、気持ちの持ちようで今は苦しくてもきっと良くなると希望を持って生きていけば必ずいい結果を迎えられます。
人生は修行であらゆる経験を通して学び人格形成していくと言われています。過去世において人間は人を殺し、多くのザイエを積んできました。現在生きている我々は本当にそのザイエを消していかなければなりません。その消し方は簡単なものではありません。
世の為、人の為に善果活動をして消してもらうしかありません。そういうことは簡単には出来ませんが頑張ってやるしかありません。
人生を上手に生きる上で大切なこと
人生を上手に生きる上で大切なこと
今の政治を思う
国会議員の方々にもの申す。国民は立ち上がろう
あなた方は本当に国会議員ですか。
何のために国会議員になったのですか。
世界の中で日本をどういう方向に進もうとしているのですか。
世界観・国家観を持っていますか。
国会議員は地方議員とは違います。現状は二世議員 前議員の代行議員 大風に乗った力不足議員その他低レベルの議員が多い。選挙制度もまずいが選ぶ国民も次元が低い。
日本は敗戦で大きなミソギを受けたが国民の力強いたくましい前向きな活力で復興し、経済的には世界トップクラスの地位まで躍進し、一流までになったが政治は人材不足と政治力のなさで現在のような三流議員によって国が運営されていると思うと唖然といしてしまいます。
国民は何故沈黙しているのか。もっと政治に関心をもち主張しようではありませんか。
このような人を議員に選んだ国民も悪いし、もっと国民は政治に興味を持ち政治力があり実行力を持っている方を支持し選ばなければならないのに族議員を選ぶ現状を打破しない限り日本の政治はよくならないでしょう。
これからは国を守ってもらい正しい方向に導いてくれる人材が求められています。
ですから、国民は日本の安全保障{国防}、財政問題、エネルギー問題、医療年金問題、教育問題、住宅問題、行政刷新問題等が問題になっています。この諸問題について強い理念と実行力をもった政治家、国際的に通用する政治家を選らばなければなりません。
国民はもっと政治に興味を持ち、厳しくチエックしようではありませんか。今の日本は国難の厳しい状況です。敢えてこういう混乱した状況を国民・政治家がどう捉え乗り切っていくかにかかっています。
消費税増税の問題点
「来年4月に消費税率を上げるべきか」の最終決定まであと一ヶ月に迫っています。この消費税増税は年金や医療を充実させる為に実施するはずだった。政府も「税と社会保障の一体改革」だと説明した。国民も「社会保障費の財源を捻出する為なら仕方がない」と受け入れた。
ところがどうでしょう、現内閣は、年金をカットし、医療費の自己負担を増やす等社会保障費を削減しようとしています。
国民は一定の負担はしても安心した生活が出来ることを誰しもが望んでいるのです。この消費税増税は国民は了承はしたがこの増税は全ての国民に関わることで特に年金暮らしでギリギリの生活をしている貧困層ほどその負担は重くなってしまいます。
そして日本経済を支えている中小企業にとってはこの消費税増税は価格転嫁できずもろに経営の悪化につながってしまい倒産企業が増えるのは間違いなく日本経済はガタガタになってしまいます。
国も国会議員自らが経費削減に身を削りその上で国民に正しい説明をしてやるならわかるが国のやるべきことは何もせず全てを国民に負担させるこのやり方に国民はなぜ黙っているのか。国民はもっと立ち上がらないとだめです。
今迄の国の財政のいい加減さを放任し、今になって、このままの状況をこのまま継続して後世に引き継ぐことは許されない。財政再建の為に消費税増税は必要だと言い切ってもいます。このような状況まで放置し、国民の税金を無駄使いし、未だ国民を無視し、勝手なやり方で日本を舵取りしている国家を許せません。このような日本のやり方に大しては欧米先進国の国民、マスコミなら黙っていないでしょう。
近々、「有識者会議」が開かれます。9月2日にこの「有識者会議」の聴衆結果を報告された首相は「さまざまな国民皆様の声を参考にさせて頂き決定します」と答え、その一ヵ月後に消費税増税を「決断」するシナリオになっているようです。
このままのシナリオとおり増税されたら日本経済は崩れてしまうでしょう。どう日本を守ろうとするのか、弱い者を救うのが政治ではないのか。日本の小子高齢化は今来たのではなく、政治がこのことを含めて無策で、今になってそのツケを国民に回そうとしている政治家、役人を国民はもっとしかろうではないか。
マスコミもこのことを触れず逃げている状況に腹がたちます。
国民は戦争に負け焼け野原からバラックを建て、勤勉に何とか欧米並みの生活をしたいとの目的に向かって頑張ってきました。でもその目的を達成した今日、日本は本来の日本の伝統、文化日本人の生き方を忘れ、国も米国の傘の下で言うべきことも言えない米国の属国に成り下がってしまった日本。
日本はどこに向かっていこうとしているのか。国民を無視した独裁政治は許されません。それを防ぐのは本来は野党のはずなのに今の結束力のない野党はどうしているのか。
3年後の衆参ダブル選挙まで今の政権が独走してしまう恐ろしさはある。もっと国民が立ち上がろうではないか。
自己維新 自分に自信を持たせる生き方をするよう努力します
私は出来ると強い信念をもつことで自己維新が出来る
人間は弱く、自分はこうなりたい、こうしたいと強い信念、志を持ってないと振られてしまい自己維新は出来ません。自分自身に言い聞かせることも大切です。
そこで私が言い聞かせている文を紹介します。
「あらゆる面で、私は益々良くなっていく、」
「私は、世の為、人の為に神様のご用をさせて頂きます。
「もし、あなたが負けると考えるならあなたは負ける。
もし、あなたがもうだめだと考えるならあなたはあなたはだめになる。
勝ちたいと思う心の片隅で無理だと考えるならあなたは絶対に勝てない
失敗すると考えるならあなたは失敗する
世の中をみてみろみろ 最後まで成功を願い続けた人だけが成功しているではないか。
全ての人の心が決めるのだ。
もし、あなたが勝てると考えるならあなたは必ず勝つ
向上したい 自信を持ちたいといつもそう願うならあなたはそのとおりの人になるなる。
さあ出発だ、出発だ
強い人が勝つとは限らない。すばらしい人が勝つとは限られない。
私は出来る
そう考えて実行す人が結局は勝つのだ
地域・社会貢献をしましょう
地域の絆、助け合い、自主行動
少子化、超高齢者社会に突入し、日本はどういう国家に進もうとしているのか中途半端な状況下で、国家財政政策の失敗を国民に増税というかたちで負担させようとし、自己責任だから各人は自分の責任の範囲で生きていかなければならないと非常に非情で冷たい社会になってい ます。
年間で約3万人が自殺で命を絶たれる社会、その中で年寄りが孤独死される方が多くなっています。蓄えもない年金生活を強いやられ、その上に税金を取られ最低の生活をしている方々でも親子関係が円満で、楽しい日々が送られている方は幸せです。物、金があっても幸せでない方も多くいます。
今までは物、金中心社会でしたのでそこに生きる人間も人をけち落とし、自分さえ良ければいいという自己中心の人間が多くなってしまい、社会も同じような思いやりのない社会になってしまいましたが昨年3月11日の東日本大震災、福島の原発事故を通して日本人の本来持っていた絆、助け合いの精神が復活したのではないでしょうか。
私は国、地方自冶体のやるべきことにもっと国民は強く主張しなければなりません。その上で我々一人ひとりが地域社会に入り助け合い社会構築の為に自主行動しようではありませんか。
私の自主行動の一旦
・今この大転換期に生きていることの意義を理解し正しい社会に切り替えていく為の活動をする。
生きる
生きる、生きているとは
あなたは、何の為にこの地球に生きているのですか。
あなたは、何の為に勉強し、社会人として何をするのですか。
あなたは、何の為に結婚し、子供を作るのですか。
同じ人間として、この地球に生を授かり、それぞれの個性を持った人間として生きているわけですが一人ひとり生きている中での苦楽の程度が異なり、人生に行き詰ってしまった方の中には苦しくなり、自分が何のために産まれ、生きているかがわからず自分の命を捨ててしまっている方がいます。
本来、神様はこの地に平等に人間を創造したのになぜか各人に不幸なことが起こってきます。
何故、私にこのような不幸がおこるのかと疑問に思うことがありませんか。それなりに理由があるのです。
死の選択肢を選ぶ前に、本当に上記のなぜ生まれ、生きているのかことを考えたことがあるでしょうか。このことを本当に理解できると命を絶つことは出来なくなります。
私は、最愛なる妻を45歳の時亡くしました。その時こそ、何で不平等なんだと神様を恨んだこともありました。同じ人間として生まれ、人生を共に生き、幸せになろうと頑張って生きてきましたが、突然の出来事に唖然とし、人間の生きていることとは何なのかを真剣に考えました。
その後、わかったことは人間は、生きてはいるが、自分の力で生きているのではなく、神様のご守護のもとで生かされていることが解ってきたのです。それからは人間の生は肉体と心、魂から成り立っていることが解り死ぬということがどういうことなのかを勉強させていただきました。
神様は肉体を持って現界に人間として生存して下さいました。そして神様は各人に諸々の試練の場を与え、現界でいきている中での体験を通して物主で、戦う人間でなく愛和な心ある人間になって、神様が求められているこの地球を戦争なき幸福社会築造に人間が活躍されることを望んでいます。
人間がこの現界でいきていることは人間が全てを計画し実行している訳でなく、神様のご守護の下で修行をしつつ生かされていることなのです。ですから、漠然と生きていてはいけないと思います。
それと生かされている限り修行ですから楽しいことだけでなく、敢えて苦しいことも起こってきます。それにどう対処していくかです。
マイナス指向になった生き方をするとどん底に落ち再生出来ません。苦しいけどこの苦しさはよくなる為の出来事であるとプラス指向て感謝した生き方をすると人生は上向きになります。
でも、当時、私はこの段階では生きていることは解りますが、生きたいと思っていた妻の若き死はなんなのか理解仕切れませんでした。一切は神様が決めることなのかも知れませんが私は妻は短命であったが凝縮したすばらしい生き方をされた方と今でも感謝しています。
そしてあの世に戻られた魂は不滅ですから生きています。
あの世が本家ですから現界での短い修行を終わられあの世に戻られ本来の修行をされていると思っています。現界に生きていないことは寂しいですがあの世でいきていると思っていますから現界で生きている我々は亡くなった妻への執着しすぎて落ち込むよりか私が妻の分も含めて生きていかれることにより感謝し、楽しく前向きに生きています。それが亡くなった妻への想いです。
でも、そんなこといっても生きていることに苦しくなり自分で神様から授かった命を絶つ人が絶えません。このことは実は大変なことをしているのです。
特に自殺するということは神様に対しての反逆になり、現界的には苦しさから逃れられ救われたと思うでしょうが霊的に捉えるとあの世では安楽な層にはいけづつらい修行をしなければならなくなってしまうと言われています。
ですから人間は苦しいときも楽しいときも全てに対して感謝して前向きに生きていくことが重要になってきます。それを現界で体験し、修行していく訳です。その苦しさを感謝して乗り越えるときっと幸せが待っています。
それが、神様の愛情なのです。ですから、単に生きているだけでなく、少しでも自分に与えられた個性を活かし、社会の為に貢献するのです。このことが神様から愛される秘訣で人生の底辺に落ち込んだ人は自然と上向きに上昇して、神様から本当に生かされていることを体験することができます。
私はこのように今、生きていることを捉えています。まずは、今、どんな状況におかれていようとも生かされてることに感謝し、前向きにあきらめずに精進していくことが大切と思うのです。
国民、目を覚ませ。だまし続ける政治家・役人
国民は目を覚ませ、
政治家・役人を肥やし、国民は飢えしのんでいる現状を甘んじて黙っている国民、目を覚まし、決起しよう。
もっと政治家(政治屋)、シロアリの役人を厳しく監視し、国家を正しい道に導き、国民に安心できる日本に創造しようとする真の政治家を選ぶことが我々の責務である。
一体どこが「決める政治」なのか。
公約違反の消費税増税法案を三党合意で決め、それも増税と社会保障改革はセットで一体改革をすると逓減していたのに増税以外は何も進まない。
自民党もまじめに政治をやる気があるのか。
日本の財政悪化の原因
1.無駄な公共事業への税金の浪費構造
自民党時代の利権を利用しての政治家と業者の癒着、業者の票集め、景気拡大に向いての事業ならいいが無駄な公共地業を抑えるように監視体制を強固にしなければザルである。
2. シロアリ官僚の存在
好き勝手な天下り先の外郭団体をつくり、そこに予算を流し込み懐を肥やす役人。
役人は、財政が悪化したのは社会福祉が拡大したからだと国民にツケを廻し、それで増税を押し付けています。もともとの原因は政治家と役人しかいません。
3. 財政赤字
財務省と野田政権は、日本の財政赤字が1000兆円あり体変だといっている。でも、本当は金融資産が500兆円近くあるから実際の借金は半分であると大ウソを言って増税で国民の所得を強奪しデフレ不況を悪化させている。
4. 消費税増税は今やらなければいけないのか
「来年4月に消費税を上げるべきか」景気動向との関係での最終決定する9月末まであと一ヶ月、安倍首相は8月末から開催される「有識者会議」の結論を参考にして決断をしようとしています。
尚費税増税は、もともと年金や医療を充実させる為政府は「税と社会保障の一体改革」だと説明され、国民も「社会保障の財源を捻出する為なら仕方がない」としぶしぶ受け入れた。しかし現状はどうだろう。年金をカットしたり社会保障を削減しようとしています。
その上、給料も上がらず苦しんでいる国民、日本経済の根源を支えている中小企業に有無を言わせず課税されるこの消費税増税、今この消費税率をアップしたら再び不況に逆戻りし、国民は生きてゆくことが出来なくなり、中小企業は大手企業の狭間で消費税は価格転嫁できず倒産企業が増え社会は混乱するであろうと今決定するには未だ経済が回復してなくので先送りすべきだとする慎重論派もいます。
このまま、シナリオどおり消費税率を8%10%とアップされたら日本経済は崩壊してしまうだろう。今、国民は何故反対の声を上げないのか。マスコミも傍観しているだけです。国民は今目を覚まし決起しよう。
人間の個性の選択
盲目ピアニスト 辻井伸行さんとお母さんから学んだこと
あなたは自分の天性はなんだと思いますか
天性までいかないまでも神様は四十八の神々様の分み魂を分身し個性を持った人を創って生かさせて頂いています。でも、お母さんも、本人も自分の天性・個性はなにかがわからず模索しているのではないでしょうか。
それで、先般テレビで辻井さんのピアニストになるまでのドキュメントがありました。そこで感じたことをまとめました。
盲目の子とお母さんの前向きな人生
神様は大愛ですから本当は五体満足の子を授けてあげようとされるでしょうが辻井家族には盲目の赤ちゃんが産まれてしまったのです。その時のショックは大変なことだったでしょう。
でも神様はこの赤ちゃんにはひと一倍すばらしい耳をお与え下しました。それは次の現象でわかったのです。お母さんはお子さんが目がみえないので毎日クラシックのCDを聞かせていました。するとクラシックの中でもショパンのCDを聞かせると足でリズムをとっているのです。次に他のCDを聞かせても何もしないのです。
ここでお母さんの感受性がすごいです。この子は目がみえないが神様はこの子に音楽のクラシック演奏者 ピアニストになると感じたのです。それでお母さんはこの子におもちゃのピアノを与えるとCDにあわせてピアノをひくのです。
ここでのすばらしいのはお母さんはわが子が盲目であることにめげず明るく対応し、神様が我が子に与えて頂いた天性を見出すことができたことであります。それからはこの子に与えられた天性を伸ばすために音楽の道に進んで邁進したのです。そうすると神様はすばらしいお仕組みをお与えくださり今は世界的なピアニストになって活躍されています。
私はすべての方がこのようにはならないでしょうが三つ子の魂には神様から与えられた天性・個性があります。お母さんはこの時に愛情ある接し方をされお子様の個性を見出し、育ててあげてください。
これがお子さんの将来に繋がっていきます。
2020年夏季オリンピック東京開催の意義 役割
2020年夏季オリンピック開催 東京に決定
東京オリンピック開催の使命・役割は東京の為のオリンピックではなく、日本が下記のことを復興、再生した姿を世界に示すイベントで、メダルを取ることだけの目的ではなく、日本が日本人が本来の地球で最も模範的な国で、人種であることを示し、このスポーツの祭典を通して今後の世界平和につながっていくよう日本人自身が日本人としての誇りと魂を復活させて世界の日本・日本人を示したい東京オリンピック開催であって欲しいです。
東京オリンピックが果たす役割 「日本の復活・再生」
物質繁栄はしたが、その繁栄の裏でなくなってしまった日本の持つ日本人魂の復活
3.11の東日本大震災、福島原発事故による被災地の復興、再生
超高齢者社会に入っており都市、地域の高齢者に優しいインフラの整備、再生
再生には、物質面での再生と魂、心の再生があります。
3都市が争い最終的に東京が決定したことに真から嬉しく感動しました。
オリンピックがギリシャのアテネで開催され、オリンピックは政治が介入してはならないと言う原則があるにもかかわらず幾多の苦節を乗り越え今があります。此の地球に人間が住むようになり、本来は地球は元一つ世界はまた一つの理念のごとく争いもなく愛和な地球社会が存在されているはずなのに現実は自国の繁栄、宗教の違い等神様がこの地球を創造し、人間の果たす役割を回避し戦争、テロ等殺し合いが治まることなく発生しています。
オリンピックはスポーツの祭典であり、スポーツでの戦いはあるでしょうがそこには戦争のような醜い争いではありません。
人種、宗教、国家感等が異なってもスポーツを通して世界五輪の輪のごとくお互いに手を組み助け合って恒久平和な世界に向かっていこうとしそれが出来る場であります。現実は戦いあっても此の場は休戦し、スポーツに熱中し、燃え力を出し合うすばらしい場であります。
特にオリンピックを金儲けの場としか取ることが出来ない国はオリンピック精神からは反し参加する資格はありません。1964年の東京オリンピックは戦後復興が出来てない状況下で日本が一体化して経済復興の礎になったのがオリンピックであり、今があるのです。2020年のオリンピック開催が東京に決まったのはそれなりの理由があると思っています。
世界は物質的には恵まれ繁栄している国もあるがまだ発展途上の国も多く二重構造社会であります。世界は混乱し、戦争が絶えない世界の中で、日本は経済大国ではあるが、日本が世界に果たす使命がこのオリンピックにあると思っています。日本は世界の各国とは違い日本としての伝統、文化がありそのすばらしさは大変なものです。オリンピックでこの日本のすばらしさを 世界に発信し、世界が本来の愛和な平和な世界に戻れるように参加国の方々にお伝えお迎えし、おもてなしさせて頂くことが最も大切なことと思っています。
歴史的には日の元ツ国からは菊の御紋のごとく16人の王子が世界に飛び立ち活躍されましたことをご存知じだったでしょうか。日本は世界の縮図ですから何事も先ず日本から起ったことは必ず世界に拡がっていくと言われています。
1964年の東京オリンピックにはその16人の王子が日本に戻られ結集するともいわれていました。そしてその証として日本は16個の金メダルを取ることも予言されていました。現実、16個の金メダルを取ったのです。これは偶然ではなく、必然であると私は信じています。
2020年東京オリンピックが1964年東京開催オリンピックとは状況が異なっていますが世界都市の中で安全、安心の熟成した東京が世界に先駆けて高齢者社界に担う都市に整備され、日本のもつお互いに助け合うおもてなしの精神をより世界に発信し世界の平和につながるようなオリンピックにしてもらいたいです。それには日本人が自国を知り、各人が世界の模範となる日本人変わっていかなければなりません。
オリンピックで燃え上がるのはいいがあの最後のプレゼンテーションで日本に対しての一番きつい課題であった「福島原発の汚染水漏れ」について安倍首相は世界に向かって「現在、将来に当たっても汚染水基準値より低く、完全にブロックされ、安全である」と明言した。
にもかかわらず、今現在は以前よりその漏れはひどくなり海域に拡大している。国はオリンピック招致に当たってはこのように大ぼらを吹かなければ招致はできなかったでしょうがこのことを世界が許すでしょうか。緊急に国としての対策を実行しなければ大変なことのなると思う。
一番憤慨しているのは未だ帰れず仮設住宅に住んでいる現地の方々です。オリンピック騒ぎで被災地を忘れてはならない。東電の責任もあるここにきては国の責任でもある。
この被災地の復興が出来てオールジャパンとしてのオリンピック開催を喜べるのではないでしょうか。
東京電力会社の原発事故への責任と企業体質の悪さ
東京電力会社はあれだけの事故をおこしているのに中途半端な事故責任しか取れず、自分達の企業存続を重視して最終手段であるべき電力料金値上げを国も省令一本で認め利用者に転嫁してきている現状を国も議会で検討するわけでもなく実施していることに憤りを感じています。
国家の電力供給を担う独占的な企業が、本来であれば電力自由競争の中で、電力供給をし、企業、国民に安価な安心した電力供給をすべきものにも係わらず、電力自由化をさせないシステムで暴利を貪り、電力会社の社員の肥やし(給料)にして独占的繁栄をし、国民の本来であれば信頼の置ける企業として認められるのに、今や、国民の敵しか思えなくなってきたこの企業を国民は何もせず、放任しておいていいのだろうか。
この度の、原発事故の責任は、国としては出来るだけ東京電力に可能な限り負わせ、どうしようもなくなッた時点で国が出てこようとしているがその時期は既にきている。
生きるとは
生きるとは
生きるとはどういうことでしょうか
ここでは、人間がこの地球に生を授かり、生きている状況が誰でもが考えることでしょう。
私は哲学者ではないので難しいことはわからないが私自身、若き頃妻を亡くし、その時までは生と死について考えていなかったことが、現実的に起ったことで、妻の生きていた時間は短かった。
本来人間は生まれたからには長生きして人生を歩んでいくものと思っていましたから神様は何で不平等なんだと当時は生と死について理解しきれず、自分の生きていることにも不安な状況にありました。
現界で生きていることの意味が漠然とですがわかってきました。それは人間は肉体的に亡くなっても主魂は亡くならずあの世にいっていき続けることがわかったのです。
このことで、より現界で限られた時間の中でいきていくことの重要性を改めて認識させて頂きました。自分では自分の力で生きていると思っても実は生かされていることがわかったのです。
人間
容疑者の腰縄の緩みは検察・警察の組織の緩みではなか。
容疑者の腰縄の緩みは検察、警察組織の緩みである
平成26年1月7日強盗や集団強姦などの疑いで逮捕されていた容疑者が取調室で弁護士との接見中に腰縄をずり下ろして逃亡した。
情報によればドアーはカギがかかっておらず、立会いの検察事務官は所要で席をはずして、一人が対応をし逃げられたとのこと、私はこの件は容疑者の犯した罪、迷惑は大きいが、それ以上に検察、警察の組織の危機管理に対する縄が緩んでいたことを示した大失態事件と言えましょう。
2日後に容疑者逮捕が出来住民はほっとはしたが何故このような現象が起ったのでしょうか。私は日常の出来事は偶然ではなく全て必然に起ると思っています。ですからその起った現象の原点をよく見極めて追求する必要があります。
本件も容疑者の腰縄が緩むことなどあってはないのが緩んで逃亡されたことは人知では考えられないことであります。
しかし、この現象は我々国民の安全を守っている検察、警察組織が緩んでいるので神様はこのような現象を通して我々に知らしめてくれたと私は思います。
単なる1事件で簡単に終わらせることなくこの失態に検察、警察は反省し、たがを締め再度このようなことが起らないように危機管理に力を注いで欲しいものであります。
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